メールやお電話でも販売車両に関するお問い合わせを頂いておりますが、なかなかそのリクエストにお応え出来ていないのが現状です。
理由は実に簡単なお話で、私達の目に適う個体に中々巡り合えない事です。その様な物ばかりを追掛けているから逆に巡り合わせが少ないとも言えます。やはり量販店さんが年間に買い付ける量とは比べものになりませんし、例えばUS現地のバイヤーさんからしても、ピンポイントで欲しい物だけをつまんでゆく私達よりも、大量に買い付けてくれる先を優先するのも当然の流れです。
さて、ここに何枚かの古い写真がありますのでご覧ください。
これは1995~1998年頃の画像です。当時私は世田谷に小さな店舗をOPEN。そして車両買付の為USへ定期的な渡航を繰り返していましたが、後に現地法人を興し活動拠点をUSのサンディエゴに移しました。そして全米を回っては気に入った車両だけを買いつけ、ある程度の台数が集まったらコンテナに詰めて自分の店に送っていました。今思えば、片言にも満たない酷い英語でよく立ち回ったものです。画像をご覧ください。日本に持ち帰りそのままでも販売出来そうなオリジナル車両がまだまだ存在していた時代です。しかも今とは比較にならないリーズナブルなプライスです。
今もPAMSの積載車はダットラなのですが、何と当時も現地で乗っていたのはD21型のダットラでした。ただしエンクストラキャブでエンジンは輸出車専用のVG30(V6/3000cc)+5MTというパワフルな仕様でした。こんな小さなトラックでも後ろに小型のトレーラーを牽引し4~5台は積んでいました。
1998年の2月。この頃は当たり前ですがスマホなんて物もありませんでしたし、デジカメもまだ出始めで正直使い物にならなかった記憶があります。確かカシオから出たてのデジカメを買い持参していったのですが、画像は粗い、電池は持たない、しかも撮った画像を当時のPC環境の中で読み込み、更にメールなどに添付して送るのに一苦労だったんです。一枚の画像を落とし込むのも送るのにもとてつもない時間が掛かり実用的ではなかったです。今ならスマホでサクッっと撮って、その場で瞬間的に送れますから時代を感じますね。
結局、フィルムカメラで撮った画像を現像し、写真の裏に車両の詳細等を書き添えた物を日本に送っていました。結局撮った画像が日本に届くまで一週間~10日は掛かっていた気がします。画像上は、集めた車両を借りていた住居のガレージに仕舞いこみイジっていた頃。これが結局大家さんにバレて酷く𠮟られて参りました。近所からの苦情があったらしく、警察まで来る始末。まるで不気味な東洋人扱いです。
車輛が1コンテナ分用意が出来ると、大きめのトラックをレンタルして積み込み港まで運びます。
この頃は、日本の店からのリクエストでお客様からのオーダーに合わせた仕様に有る程度仕上げて送る事もしていました。外装は勿論、フレームやエンジンに至るまで一台一台です。当然、どの道自宅ガレージでは手狭になり、もっと大きな倉庫を借りそちらをショップにしたのです。
因みになんですが、画像上は私の寝室。置き場所のなくなった仕上げ途中のフレームと一緒に寝る様な生活です。
画像上はリビングルームです。丁度クリスマスシーズンでツリーを飾りつけてみたのですが、ツリーの下に並んでいる私へのプレゼントは溜まった仕事でした。笑
今だから言えるのですが、当時こんなプロジェクトも進行していました。
クロモリパイプを使い、軽量且つ高剛性なスペシャルフレームです。マニファクチャーライセンスを取得し新車として日本に入れるつもりだったのですが・・・様々な理由で計画は頓挫し、実現する事なく夢で終わってしまいました。画像が不鮮明ですみません。
画像は別にOPENした工場スペースです。パウダーコートを施してもらう為に運ぶ用意をしている所だと思います。因みに一緒に写っている方はZ-FATHERの代表でもある松永社長。アメリカに遊びに来てくれた時のものです。
この頃は何もかも手さぐりで、大変だったのでしょうが今となっては楽しかった思い出しか残っていないのが不思議です。当初は、部屋も借りられず現地で仲良くなった日本人留学生のアパートに居候していました。しかも私の寝場所は台所にあるキッチンテーブルの下。中々快適でしたけど。笑
PAMSに販売車両がいつも少数しかない理由を説明するつもりだったのですが、お話が脱線してしまいました。。。ごく少数、出戻り車両やUSからの新規車両等も不定期に出入りはしているのですが、告知の前に売れてしまう事も多くご期待に応えられていません。それでも、もしや?と思い立ったら一応聞いてみてください。もしかするとタイミングによっては良い車両が入庫しているかもしれませんので。
アメリカでのお話は、また気が向いた時にでも続きを書かせてもらいたいと思います。